僕のギター人生6 [ギター人生]
三鷹市大沢に引っ越したのは小学校5年生のときだった。近くにサレジオ教会というのがあって、僕はその日曜学級に参加することになった。広大な敷地を持つ教会では近所の子供たちに体育館と運動場を開放し、いろんなスポーツをさせてくれたのだった。その代わりキリスト教の講話みたいなものを聞かされたりもしたが、子供は遊びが大好きである。僕は中でも卓球に夢中になった。卓球が上手な、K学園小学校の同級生H君も通っていてよく二人で日が沈むまで打っていた。
6年生になってから僕は念願のスポーツ・クラブに入部しサッカーと野球に入れ込んでいたのだが、卓球はそれとは違う感覚のスポーツで、練習すればするほどうまくなれるような気がした。
そして、長い長い小学校の6年間も終わり、僕は国立市の男子校、桐朋中学校に進学することになった。10歳年上の兄が通っていたので僕も漠然と桐朋に行きたいと思っていたのだ。小学校5,6年生のときのキビシい補習授業のおかげか、なんとか合格することができた。クラブは野球やサッカーも捨てがたかったが結局卓球部に決めた。
両親が念願のステレオを買ってくれたのもそのころ。たぶん入学祝いということだったんだろう。3点セットの小さなものだったがむちゃくちゃ嬉しかった。
入学してみると、おもしろい奴がいっぱいいた。特に音楽にやたら詳しいのがクラスに4~5人いて、僕らはすぐにお互いの家に遊びに行って持っているレコードを聴いたり貸し借りしたりして交流を深めていった。D君はレッド・ツェッペリンが大好きで、太っちょのM君はグランド・ファンク・レイルロード、O君はブラッド・スウェット&ティアーズ、MT君はピンク・フロイドとサンタナのファンだった。しかしMTはそれだけではない、クリームやジミ・ヘンドリックス、キング・クリムゾンなどのLPもたくさん持っていた。3歳くらい年上のお兄さんがロックが好きだったので、その影響もあったのだろう。MTはK学園小学校の隣にあったU小学校の出身で、家も近かったのでしょっちゅうチャリンコで行き来をしてロックの話ばかりしていた。
ところで僕が中学校に入って生まれてはじめて買ったLPは「マジカル・ミステリー・ツアー」、2枚目は「ミート・ザ・ビートルズ」だった。ビートルズはその年('70年)解散し、映画「レット・イット・ビー」がロードショー公開された。もちろん僕も観にいった。解散と映画公開の影響で再び世界中でビートルズ・ブームが再燃しており、映画館は超満員、しかたなく立ち見で最後まで観ていたが、終わると泣き出すおねーちゃんがいっぱいいた。
そんなわけでビートルズは依然として大好きだったが、D君やM君、O君やMTの絶大な影響力のおかげで僕は次第にロックの深みにはまっていった。3枚目に買ったレコードはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(略称CCR、この頃はやたらと長い名前のバンドが多いね)の「コスモズ・ファクトリー」であった。「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」というめっちゃくちゃにカッコいい曲が収録されていたからである。
はじめまして、懐かしいグループ名を目にしまして、しばしおじゃまいたします〜 映画「レット・イット・ビー」は、ちょうど小学校5〜6年の頃でしたでしょうか,,ラストのゲットバック?に触発されてか、それからというもの、ラジオからながれてくるビートルズを片っ端からカセットにとってはくり返し聴きほれていたものでした。同じ頃、ラジオからながれていたところでは、映画『明日に向って撃て』〜B・J・トーマスの「雨にぬれても」、ブラス・ロック?〜シカゴの「長い夜」、なんてところのリクエストが多かったように記憶しております。DJの糸井五郎さんあたりは、ボサノバに傾倒?していたころかな?セルメンとブラジル66の「マシュケナダ」がとても新鮮に感じたのもたしかこの頃のことだったと思います。中学にあがると、やはり、ロックの影響は絶大?で、知り合いとのカセットのやりとりも頻繁になり、そんななかでCCRに興味をもったりもしたものでした。といっても、当時、ラジオでながれていた「雨をみたかい」「プラウドメアリー」「スージーQ」なんてところが主でしたけれど(^^;, なんのLPだったかは忘れてしまいましたがワンマンバンドって曲も好きだったなあ,,来日したおりには、プレーガイドにチケットを求めにでむいたりもしましたが、読みがあまく、チケットは当日すぐに完売(^^;, やっぱ、音楽事務所とか、場所や手段の考えなしな行動だったもので、あげく、同日、席にまだ余裕のあったピンクフロイドのほうを衝動買いしてしまったという節操?の無さ,,今かんがえてみると、なんか"音"に飢えていた時代なのかなあ?なんて思ったりもしております;-)
あ、なんか脈絡もなくだらだらと申し訳ございませんでした〜
でわ。
by あせび (2007-12-31 13:08)
あせびさん
はじめまして。resが遅くなってすみません。元旦を境に怒涛の日々が続いて、見落としてしまいました。
結局僕もCCRは見逃してしまいました。そのときはジョンの兄のトム・フォガティが脱退して3人組になっていたんで、ちょっと興味が薄れていたかもしれません。最初に聴いたCCRの曲は「グリーン・リバー」。これはシングルを買いました。
で、後ほど書くつもりでしたが最初に見た外タレ(死語)はピンク・フロイドでした。東京体育館だったかな?とにかくデカい音にびっくりしました。新曲ということで"The Darkside Of The Moon"(狂気)をやってくれました。LPが出る何ヶ月も前です。凄かったけど長くてわけが分からなかった…。
「長い夜」、「雨にぬれても」、「マシュケナダ」、懐かしいです。糸居さんは外タレのコンサートではいつも司会で登場してましたね。「ワンマンバンド」はスリー・ドッグ・ナイトだったような気がします。
と脈絡無くだらだらと書いてしまいましたが、ぜひまだ覗いてやってください。コメントもお待ちしております。
by kon-g (2008-01-06 15:27)